2016年05月18日
犀ヶ崖古戦場

家康の散歩道、犀ヶ崖古戦場。
本多肥後守忠真の碑も同じ敷地内に建立されてます。

三方原の戦いで数に勝る武田軍に徳川軍は総崩れとなり、家康も九死に一生を得て
やっとの思いで浜松城にに逃げ帰り籠城することになりました。
武田軍は、追撃を中止し、犀ヶ崖付近で一部の兵を集めて陣を張りました。

徳川軍は、反撃に転じるために一計を案じました。
犀ヶ崖に武田軍を追い落とそうと、崖に白い布を張り、丈夫な橋が架かっている
ように見せたのです。(それが布橋という地名の由来になりました。)
夜半になって、浜松城の近くにある普済寺に自ら火を放ち、浜松城炎上と見せかけ
ておいて、武田の陣営の背後から鉄砲を打ち込み、織田信長の援軍が来たと思い
込ませ、武田軍を人馬もろとも谷底へ追い落とし大損害を与えました。

当時の犀ヶ崖は、深さ約40m、幅約50m、長さ約2kmの複雑な地形でした。
武田軍は浜松城攻撃を中止し、軍勢を西に向かわせました。

徳川軍の戦死者は約1,000人で家康の大敗北でしたが。
しかし、戦国最強とうたわれた武田信玄の大軍に果敢に立ち向かったことで、
その評価を高めえる結果となりました。
Posted by 鈴木@SHOPS案内人 at 11:01│Comments(0)
│家康の散歩道