本多忠正真顕彰碑

本多忠正真顕彰碑

本多忠真は本多平八郎忠勝(徳川四天王の一人)の叔父にあたります。

三方原の戦いの際、敗走する徳川軍のしんがりの任にあった忠真は武田勢の中に
刀一本で斬り込み、39歳をもってこの辺りで討ち死にしました。

本多忠正真顕彰碑

また、忠真の子菊丸は、父の命をうけ家康を援け浜松城に無事退却したが、父の
最期を前にし、友が次々と死んでゆくのを見た彼は、無常を感じ父の遺骸を三河
に葬ったあと出家の道を歩くことになって「倉松山寿福寺」を建立しました。

顕彰碑は、明治24年忠真から数えて17代後の本多子爵が建立されました。

本多忠正真顕彰碑

顕彰碑の刻文の内容に興味のある方は、お気軽に犀ヶ崖資料館のボランティア
ガイドにお問い合わせ下されば資料お渡しします。。



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