第23番礼所 意龍山 蓮花院
寺の名に因む一蓮托生は み名を称ふる口にこもれる
西山浄土宗のお寺で、ご本尊は阿弥陀如来です。
永禄3年(1560)、今川方の武将だった徳川家康公は桶狭間の戦いに
敗れ、成岩の天龍山常楽寺へ逃げのびました。
その時、家康公の馬前を払った因縁により「意龍山」の山号をいただき、
以来、寺院としての風格を高めたと伝わっています。
当山は昭和41年、予期せぬ失火から本堂・庫裡・弘法堂・地蔵堂を全焼し、
往時の風格を失いましたが、昭和45年にはいち早く弘法堂を落慶。
続いて昭和62年秋には本堂・客殿を完成し現在にいたっています。
当山弘法堂前には「張子の大師」の名で親しまれる大師像があります。
七難滅除・諸願成就などを祈願して大師様に納札をはると、あらたかな
霊験ありとして、巡拝の善男善女から篤い信仰を受け、「お身代わり」
として御利益をお授けしています。
当山の地名「ヒジリ田」の起こりは、遠く応仁の乱にさかのぼります。
旅の僧がこの地に草庵を結び、人々に農耕の法を教えたところ、人々
は歓喜して“聖上人”と讃えました。
それにちなみ「ヒジリ田」と称するようになったと伝えられています。
※参考文献:知多四国めぐり礼所案内より