2014年01月12日
目薬の小石

猪鼻湖西岸の鵺代は、今は三ケ日町の一つの大字で、人家が軒を連ね、
賑やかな町通りとなっていますが、このお噺は今から千二百年も昔の
、鵺代がまだ人家もまばらな淋しい農村であった頃のことなのです。
弘法大師はお年が五十才近い頃から、長い間の念願であった全国行脚
の旅に、高野山からご出発になった。
そしてこの鵺代の地に来られたのは、いつ頃であったかわからない。
その日も疲れた脚を引きずるようにして、歩いて居られた。
大方幾夜も野宿を重ねられたことでしょう。
暑い夏の長い一日が暮れようとする頃、村外れの粗末な一軒の戸を、
とんとんとお叩きになった弘法様が、いつもの静かなていねいな口調で
「今夜ひと晩だけ軒下に泊まらせて下さいませんか」と、顔を出した
その家の主人にお頼みになると「さあどうぞ、お安い御用です。」と
言って顔を引っ込めた。
家の中で何か話し合う声がして暫くすると、お内儀さんらしい中年の女
が顔を出し「軒下では藪蚊で眠れませんから、狭いけど家の中へお入り
下さい」と
言った。
草鞋を脱いで脚をさすっていた弘法様が、案内される儘に、蚊遣りの煙
が濛々と煙る家の中に入ると、主人はにこにこ笑いながら、床の上に導
いて呉れた。
麦飯と味噌汁、そして漬物だけの粗末な夕食の接待があり、裏庭でたら
いの行水を済ませたあと、畳はなくて筵を敷きその上に展べた薄い蒲団
で一夜を明かした弘法様は、その夜どんな夢をご覧になったことでしょう。
翌朝日の出前にお起きになった弘法様は、この家のお仏壇の前で長いお経
を唱えられた。
一夜お世話になった御礼として、これ以上のものはないと言う程の、てい
ねいで熱心な御勤めであった。
弘法様のお気持ちは、信仰心が篤く心根の優しい夫婦の心遣いが、
余程嬉しかったのでしょう。
粗末な朝食が済んでいよいよ出立のとき、弘法様は小さな包みの中から、
ていねいに布で巻いた石ころの様な品物を取り出すと「これは眼薬です。
削って少しづつお使い下さい」と言った。
元気な足どりでご出発なさった弘法様は、やがて消え、どちらへ向かわれた
のか何もわからなかったし、夫婦にとっては、その見すぼらしい旅のお坊さん
が、都で評判の名僧空海様であろうとは、夢にも思わないことでありました。
眼薬の小石は、ほんの少し削って清水に溶かし、これを眼にさせば、
どんなにひどい眼の病気も忽ちなおったので、眼病に悩む人達が遠方から訪ね
てきて、少しでもよいから分けて下さいと言って頼まれるようになった。
この眼薬が余りに利くので、その旅の坊様は弘法大師であったに違いないと
言い立てたのは、長い間眼病に苦しみ、この眼薬の御蔭で全治した人たちで
、御坊様が弘法大師であったかどうかはわからないのです。
※参考文献:「湖北・湖西の民話と史話101話より