› 南浜名湖SHOPS › ★遠州三山めぐり › 萬松山 可睡斎 › 可睡斎 家康公「出世六の字穴」の伝説

2015年04月15日

可睡斎 家康公「出世六の字穴」の伝説

可睡斎 家康公「出世六の字穴」の伝説

秋葉山の御真殿から奥の院へ向かう山道に徳川家康にまつわる
「出世六の字穴」があります。

戦国時代、徳川家康は武田信玄との戦いにおいて遠江・森・袋井方面
へと攻めてきた武田勢に追われ、この寺のほら穴に隠れて命拾いをした。

可睡斎 家康公「出世六の字穴」の伝説

その後、家康は浜松城主となり、やがて駿河城、江戸城などを築き国
を平定し、江戸幕府を開いて将軍となった。

その出世の故事になぞらえ、当齋のほら穴は、家康公の威徳を称えて
いつしか「権現洞」と、また「出世六の字穴」とも呼ばれるようになった。

可睡斎 家康公「出世六の字穴」の伝説

出世六の字とは六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上)の世間から
解脱する「出世間」からとも、あるいは六観音や六地蔵に由来するとも
伝えられる。

可睡斎 家康公「出世六の字穴」の伝説

なお、当齋にはその後、徳川幕府より駿河・遠江・三河・伊豆の寺院を
統括する「僧録司」の職と十万石の侍遇が与えられた。



同じカテゴリー(★遠州三山めぐり)の記事
遠州三山紅葉祭り
遠州三山紅葉祭り(2022-11-21 21:18)


Posted by 鈴木@SHOPS案内人 at 14:11│Comments(0)★遠州三山めぐり萬松山 可睡斎
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

削除
可睡斎 家康公「出世六の字穴」の伝説
    コメント(0)