2015年04月15日
可睡斎 家康公「出世六の字穴」の伝説
秋葉山の御真殿から奥の院へ向かう山道に徳川家康にまつわる
「出世六の字穴」があります。
戦国時代、徳川家康は武田信玄との戦いにおいて遠江・森・袋井方面
へと攻めてきた武田勢に追われ、この寺のほら穴に隠れて命拾いをした。
その後、家康は浜松城主となり、やがて駿河城、江戸城などを築き国
を平定し、江戸幕府を開いて将軍となった。
その出世の故事になぞらえ、当齋のほら穴は、家康公の威徳を称えて
いつしか「権現洞」と、また「出世六の字穴」とも呼ばれるようになった。
出世六の字とは六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上)の世間から
解脱する「出世間」からとも、あるいは六観音や六地蔵に由来するとも
伝えられる。
なお、当齋にはその後、徳川幕府より駿河・遠江・三河・伊豆の寺院を
統括する「僧録司」の職と十万石の侍遇が与えられた。
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