家康伝説の残る 護国山 安寧寺
臨済宗妙心寺派のお寺で、ご本尊は聖観世音菩薩です。
元護国庵と称し明応年間(室町時代)の創建といわれる名刹です。
天正年間(安土桃山時代)に清庵宗徹和尚入山し、安寧寺と改称、
臨済宗妙心寺派となりました。
師は高僧岐阜瑞龍寺大用弘照禅師に仕え、厳しい修行の後その
奥義を極めた高僧です。
当寺に住職となってより教化に専念、広く住民の帰依を受け、特望
四方に伝わり寺門の次第に興隆しました。
曳馬城主徳川家康がその徳を慕い親交を重ね禅門の指導のみな
らず兵学易学についても学んだといわれてます。
また、家康が三方原の合戦で敗れ、三河に逃げる際、山崎の間道(音無坂)
を経て浜名湖へ導き武田勢より逃れさせました。
家康は後年これに報いるため寺より展望ができる限りの田を寺領として与
え、その広さは、山崎、志都呂に至る四十七町歩といわれてます。
明治5年の火災で本堂、その他諸堂宇を焼失しましたが、明治31年に本堂
を再建しました。
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所在地:浜松市西区雄踏町山崎2998番地の1