神霊矢口の渡 頓兵衛住家の場
福内鬼外(平賀源内)作。
玉川の新田神社の神官の依頼で作られた全五段の人形浄瑠璃
五段の内この四の切だけが残りました。
歌舞伎としては寛政六年(1794)八月桐座で初演。
新田義貞の長男(義興)は、足利尊氏討伐の途上、足利方に一味した
武蔵国矢口の渡しの船頭、頓兵衛に謀られ、玉川を渡る途中溺死した。
その褒美で、頓兵衛は俄か成金になった。
義興の弟義峯は傾城台(うてな)をつれて武蔵国矢口の渡しまで落ち
て来たが、詮議が厳しく、一夜の宿を求める。
それが頓兵衛の家であった。
頓兵衛の一人娘お舟は、頓兵衛の子分六蔵に口説かれるほどの美人で
あったが、義峯を見て一目惚れしてしまう。
頓兵衛は幸い留守であったが、もし頓兵衛に発見されれば義峯も義興
と同じ運命になるだろう。
恋のため、お舟は、義峯と傾城台を逃がしてやる。
そうとは知らず六蔵の注進を受けた頓兵衛は義峯と思って、お舟を刺す。
瀕死の娘の願いも聞き届けぬ強欲非道な頓兵衛は、村々へ合図の狼煙を
上げて、義峯を追っかける。
お舟は息も絶え絶えに、落人捕縛の知らせの太鼓を打つ。
川へ舟を漕ぎ出した頓兵衛の前に義興の亡霊が現れ、新田家の重宝の矢
が頓兵衛を殺す。
※取材協力:雄踏歌舞伎保存会「万人講」