豊川辯財天略縁起

豊川辯財天略縁起

辯財天を御本尊とする当山は龍雲山三明寺と称し只今は曹洞宗に属する三河の古刹
である。

豊川辯財天略縁起

草創は大宝2年、文武天皇三河国星野之宮へ行幸のみぎり、現境内池のほとり
にて辯財天の御霊験を得られ、当時大和国橘淵阿闍梨に命じて堂塔を建立し給ふ。

豊川辯財天略縁起

平安の頃、三河の国司大江定基公愛人力寿姫の面影を永久に残せんと辯財天の
御像刻み上げ、当山に納められたのが。只今の御本尊である。

十二単重の御衣裳を召されて巳年毎に御衣裳替えを執行し開帳する慣わしになって
いる。

豊川辯財天略縁起

鎌倉時代に三明寺住僧忠源信濃の源氏に組し鎌倉幕府の命に従わず、源頼朝の
臣に攻められ兵火の為、堂塔悉く焼失したが、室町時代に至り遠州半僧坊開山と
なられた無文元遷禅師(後醍醐天皇十一皇子)が荒廃なる様を嘆かれ再建し給ふ。

只今の三重の塔は、その当時のもので明治40年5月重要文化財に指定される。

豊川辯財天略縁起

総丈五十尺、その様式に特徴があり、初層二層は和様、三層は唐様である点、
日本にも例がなく室町時代の建築物としては著名である。

豊川辯財天略縁起

又、辯財天宮殿は天文23年の再建で昭和28年国指定重要文化財に指定される。

                        (豊川辯財天略縁起より)


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