ぼたもち藻草(もく) 後編 (村櫛町)

ぼたもち藻草(もく) 後編 (村櫛町)

口のまわりいっぱいにあんこを、つけながら、ニコニコ食べていましたが、その
ふとしたはずみに餅がのどにつかえたかたたまりません。」

子供は目を白黒させて苦しみはじめました。
やがて、おっかあが全部のぼた餅をつくり終えて其の子供に気付いた時には
幼児はもうこと切れていました。

おっかあは、びっくり仰天、大声を出して家の者を呼ぼうとしましたが声になり
ません。

その場へへなへなとしゃがみ込んでしまいました。


そんな時奥の部屋で、おっとう達の起きる気配がしました。
すると何を思ったのか、おっかあは子供を抱きあげると、物も言わずに裏口か
ら駆け出すと物置小屋へ入っていきました。

其して戻って来ると、おっかあは何事もなかったような顔をして、おっとう達に
ぼた餅を食べさせると、弁当にも、ぼた餅を包んで藻草の口明時刻に遅れな
いよう送り出しました。

おっとう達の姿が見えなくなると、おっかあは物置小屋へとんで行き思いっき
り声をあげて泣きました。

おっかあは、何故、大切な我が子が死んだということを家の者に知らせなか
ったのでしょう。

それは子供が死んだことを話すと、おっとう達が今日の大切な「ぼたもち
藻草」を採りに行けなくなるからです。

ぼたもち藻草(もく) 後編 (村櫛町)

銭になる藻草を好きなだけ何艘でも採ることが出来る今日の仕事を休むこと
は明日からの暮らしを考えるとどうしても出来なかったのです。

おっかあは泣き泣き子供を物置小屋から家の中へ運ぶと仏様の前に小蒲団
を敷いて寝かせました。

線香をあげる後髪引かれる思いをこらえながら、おっかあは、ぼた餅がわへ
急ぎました。

やがて上の山の森で藻草の口明けを告げる鐘が鳴り響くと、ぼた餅がわは、
どっと藻草を採る人々があふれ出し大変な賑わいとなりました。

舟はみるみる藻草が山をなしていきます。
藻草を満載した舟が河岸へ向かい荷を降ろした舟は叉、藻草場へと出船入
舟の往来の混雑ぶりは大変なものでした。

そうして人々は日が暮れて終わりの鐘が鳴るまで我を忘れて藻草を採り続
けました。

ぼたもち藻草(もく) 後編 (村櫛町)

村の誰も彼れにとって今日程、一日が短く思われる日はありません。
やがて鐘の合図で作業は終わりました。

おっかあは一目散に家へ駆け戻りました。
我が子を抱き上げて声をあげて泣きました。

しばらくして、おっかあは考えました。
何時までこうして取り乱しては家の者が帰って来ても話しもできないではない
かそう思いなおすと、おっかあは着替えをしてから、おっとう達の帰りを待ちま
した。

舟を洗って片付けをすませた、おっとう達が帰ってくると、おっかあ、はまた、
あふれる涙をこらえながら、ことの一部しじゅうを話しました。

「馬鹿野郎!なんでその時言わんのか」と怒鳴ってみたものの、おっとうにも、
あとの言葉が声になりませんでした。

日焼けした、おっとうの顔にも大粒な涙がどっと溢れ出ました。

この話しを伝え聞いた村の人達は誰一人として他人事と思えず自分のこと
のようにもらい泣きました。

やがて村の人たちは、こうした苦しい生活から抜け出す為に、新しい産業を起
し叉、湖を埋立てて耕地を作り何事のもみみんなで心寄せ合い力を合わせて
働きました。

今でも、お彼岸には各家々で、ぼた餅をつくって、仏様に供えるのは其の子の
供養と苦しかった昔のことを忘れないためなのです。

※参考文献:松下誠著書「私の郷土誌ノート」より

※写真協力:舞阪海幸彦さん


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