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2014年12月01日

第57番礼所 乳竇山 報恩寺

第57番礼所 乳竇山 報恩寺

現当の二世の安楽弥陀如来 こころ奥田の寺

曹洞宗のお寺で、ご本尊は西方如来です。

第57番礼所 乳竇山 報恩寺

当山は、源義朝公の武将、鎌田兵衛二郎政清の菩提をとむらうため
に建立されました。

第57番礼所 乳竇山 報恩寺

鎌田政清は、平治の乱で平清盛に敗れた源義朝公に従い、この地に
逃れてきました。

第57番礼所 乳竇山 報恩寺

そして野間の荘司である長田忠致の館に滞在していた時、謀叛に
主従ともに惨殺されたのでした。

政清は、平治の乱における功労第一の武将とされてます。

第57番礼所 乳竇山 報恩寺

その政清の菩提をとむらうため、乳母だった報恩寺殿乳竇貞哺大禅
定尼が当山を建立されたのです。

往古は天台宗でしたが、永正年間に天沢院2世・雲関珠崇禅師が再興し、
曹洞宗に改め現在にいたってます。

第57番礼所 乳竇山 報恩寺

この時、禅師を招いたのが、野州大守の水野一初逸賢公でした。
法名は大元院殿一初全妙禅定門。

公は緒川城主の水野蔵人貞守の嫡男で、哀微していた当寺の様に心痛
し援助を惜しまれなかったということです。

第57番礼所 乳竇山 報恩寺

この地では、昔、雨水を飲料としていましたが、弘法大師が立ち寄られた
際、金剛杖で裏山より湧水を出された霊水があります。

また、大師一夜彫りの石造観音もおまつりしています。


※参考文献:知多四国めぐり礼所案内より



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