浜松城の殿、徳川家康は、1573(元亀3)年、三法ヶ原の戦いで武田軍に負けてしま
いました。
この戦いは、温暖な浜松には珍しく、雪が舞う年末に行われました。
戦いを終え、10日もたたないうちに、新しい年を迎えました。
今年こそはと決意を新たにする家康のもとに、信玄から正月飾りの門松と一緒に、
こんな句が届きました。
「まつかれて たけたぐひなき あしたやな」漢字を使って書き表すと「松枯れたて
竹類いなき 明日かな」となります。
「松」は徳川家康の許の名字「松平」を表し、「竹」は武田をを表します。
この句は「松は枯れて 竹は類いないほどに栄える未来が待っている」、つまり
「徳川家はもうすぐ滅び、武田家の天下が明日にも来るだろう」という意味です。
家康の家来は、「なんと無礼な句だ」と憤り、「新年早々縁起でもない」「今年は
負けるものか」と騒然としてます。
そんな家来の姿を見た家康は、届いた句をじっくり読み直すと、家来に筆を持って
こさせました。
信玄の句に濁点を加え、次の句に書き直しました。
「まつかれで たけだくびなき あしたかな」
漢字を使って書き表すと「徳川家(松)は枯れずに栄え続け、武田信玄(竹)の首は
明日にもなくなり、滅びてしまうだろう」という意味です。
家康が直した句を読み上げると、動揺していた家来から歓声が上がりました。
家康は満足し、門松の竹の先を信玄の首に見立てて斜めに切り落とさせました。
その後、濁点を加えた句と竹の先を斜めに切り落とした門松を信玄に送り返しました。
この日以来、浜松では、門松の竹を斜めに切るようになったそうです。