第57番礼所 乳竇山 報恩寺
現当の二世の安楽弥陀如来 こころ奥田の寺
曹洞宗のお寺で、ご本尊は西方如来です。
当山は、源義朝公の武将、鎌田兵衛二郎政清の菩提をとむらうため
に建立されました。
鎌田政清は、平治の乱で平清盛に敗れた源義朝公に従い、この地に
逃れてきました。
そして野間の荘司である長田忠致の館に滞在していた時、謀叛に
主従ともに惨殺されたのでした。
政清は、平治の乱における功労第一の武将とされてます。
その政清の菩提をとむらうため、乳母だった報恩寺殿乳竇貞哺大禅
定尼が当山を建立されたのです。
往古は天台宗でしたが、永正年間に天沢院2世・雲関珠崇禅師が再興し、
曹洞宗に改め現在にいたってます。
この時、禅師を招いたのが、野州大守の水野一初逸賢公でした。
法名は大元院殿一初全妙禅定門。
公は緒川城主の水野蔵人貞守の嫡男で、哀微していた当寺の様に心痛
し援助を惜しまれなかったということです。
この地では、昔、雨水を飲料としていましたが、弘法大師が立ち寄られた
際、金剛杖で裏山より湧水を出された霊水があります。
また、大師一夜彫りの石造観音もおまつりしています。
※参考文献:知多四国めぐり礼所案内より
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