(成相寺ポストカードより)
美しい天橋立の風景を眺めることができる成相山の中腹に建つ成相寺。
成相寺の観音さまは美人観音として有名ですが、その成相観音にまつわる話があります。
五条の右大臣高藤が観音さまにお願いして授かった玉若君は、小さい頃から大変笛を
吹くのが上手でした。
中納言になった玉若君が13歳のとき、両親が相次いで亡くなり、親孝行な中納言は
一週間笛を吹き続けて供養したのです。
その笛の音を聞いた梵天国の王(仏教の守護神)は、中納言をすっかり気に入って、
大変美しく心優しい自分の娘を中納言へ差し上げようと言いました。
やがて梵天国に姫君は中納言の妻に向かえられたのです。
この話を聞かれた天皇は、大変羨ましがれ、中納言に数々の無理難題を言ってきました。
中納言と妻は力を合わせ、天皇の難題を次々と解いていきましたが、最後には、梵国王
の直々の印をもらってくるように言われたのです。
困った中納言はしかたなく、印を頂くため梵天国に行きました。
そこで御馳走を食べていると、そばで人でもない鬼でもない飢えた骸骨のようなものが、
食べ物を欲しがるのです。
羅殺国のはくもん王(牙を持ち、人を食う悪い鬼)とも知らず、慈悲深い中納言は哀れ
に思ってご飯をやりました。
しかもそのお米は、一粒で千人力といわれるお米だったので、食べるや否やはくもん王
は鎖を切って大空へ飛んで行ってしまいました。
そして、以前から思いを寄せていた中納言の妻を奪うと、羅殺国へ逃げ帰ってしまった
のです。
妻がいなくなって、すっかり世の無常を感じ、髪を切って出家した中納言は、妻を助け
られるよう願をかけ祈っていると、ある日観音さまのお告げがあり、羅殺国と向かって
行ったのです。
苦労を重ねて羅殺国にたどり着き、やっと妻に逢えた中納言は、二千里走る車に乗って
妻と必死に逃げました。
ところが、はくもん王は三千里走る車に乗って追いかけてきます。
いよいよはくもん王が近づいて来たとき、突然
迦陵頻伽(極楽にいる想像上の鳥)と
孔雀が飛んできて、はくもん王の車を地獄の底まで蹴り込んだのです。
そうして無事屋敷に帰り着いた二人は、丹後(京都の北部)へ下り、やがて80歳に
なったとき、妻は成合の観音さまに、中納言は久世戸(知恩寺)の文殊となられ、
現在も一切の生き物をお救いになっているのです。
※観音霊場・西国三十三所の昔話より