2016年10月09日
井殿ノ塚の由来

天文13年12月(1554年)井伊直平公の嫡子直宗公の舎弟直満並びに直義兄弟は、
戦国大名今川、武田両軍の対立に際し、家老小野和泉守道高の讒言により、駿河
の今川館に召換され、遂に傷害されるにいたりました。

里人はこれを憐れみ、末弟井伊直元公に乞い、供養のため両者の塚を築き遺骨を
収めて輪塔を建て塚の上に一本の松を植えたと言い伝えられています。
以来これを濫塔の松、或いは井殿の塚と称し香華が絶えなかったと言うことです。

この里に生まれ箕輪に封ぜられ、転封して彦根の太守となった井伊直正公は、直親
の子で正に直満の孫に当たります。
嘉永5年6月、大老井伊掃部直弼公は当地に来り此の墓所を礼拝して、石垣等を
寄進したと伝えられています。
Posted by 鈴木@SHOPS案内人 at 22:11│Comments(0)
│萬松山 龍潭寺