南浜名湖KOSAIから、こんにちは! 今日は「十七条憲法制定の日」です。
推古天皇の摂政として政治を行った聖徳太子には「一度に十人もの人の話を同時に
聞き取れた」などの数多くの伝説が残されています。
推古天皇12年(604)5月6日、聖徳太子(厩戸皇子)が十七条憲法を制定したと
されております。
和ヲ以テ貴シトナスを第一条に掲げられた憲法は、論語、礼記、儒教の経典など
を基に、法家仏教の要素を加味して作成されております。
また、条文数が「十七」なのは、当時用いられていた陰陽道に通ずる考えで、
陰の最大数:8、陽の最大数:9の和が「17」になることからと考えられてますが、
「日本書紀」「先代旧事本紀」などの歴史的資料には「十七条憲法」に関する記載
があるものの、憲法が十七条となったのは、もっと後の年代なのでは…?
と見る向きが強く、近年の研究では聖徳太子の存在自体が不明瞭になってきている
ため、今後の研究や新たな史料の発見次第では、歴史的解釈が大きく変わる可能性
があるうちのひとつと目されております。
自分達が小中学生時代に習った歴史の教科書の内容と、今の教科書を見比べても
多くの違いがあります。
昭和・平成・令和世代の違い、時代の変化を痛感します。
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