ぼたもち藻草(もく) 前編 (村櫛町)

鈴木@SHOPS案内人

2013年08月27日 20:05



今の村櫛小学校一帯は明治の中頃まで海でした。
水神様の端から志津端しにかけて大きな湾曲を描いて海になっていました。

そしてこの浦には「男河(おが)浦」という名前が付いていました。
浜名湖には「女河(めが)浦」という海水浴場がありますが女河浦があって男
河浦がないのは不思議と思われるかもしtrませんが其れは、この浦が明治の
中頃埋立てられて耕地に変わってしまったからです。

この浦では昔から魚もたくさん獲れましたが其れより何より村の人たちがこの
浦を大切にしたのは、この浦で良質の藻草がたくさんとれたからです。



今では使いませんが藻草は昔、田畑の肥料として大切な役割を果たして来た
のです。

もともと田畑の少なかった村の人達はこの湖に生える藻草を採ってそれを近
隣の村へ売っては生活の糧にしてました。

だから村の人達はことのほか藻草を大切にしました。

藻草がよく売れるからといって、やたら無性に採ってしまうと藻草が絶えてし
まうので村の人達はみんなで話し合って湖面に杭を打って区分して藻草を
採る時期や一人一人が採る量を制限したり竹の歯の「くまざら」を使うなどし
て大切に保護してました。

お話しは中編へ続きます

※参考文献:松下誠著書「私の郷土誌ノート」より

※写真協力:舞阪海幸彦さん


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