歌舞伎狂言 「白浪五人男」 日本駄右衛門の生涯①

鈴木@SHOPS案内人

2012年08月20日 14:05



歌舞伎と歴史の街、雄踏(ゆうとう)、来年1月は、第24回に定期
公演が雄踏文化センターで開催されます。

一見、敷居が高いような歌舞伎の世界ですが、ふとしたきっかけ
で触れてみると興味深いものがあります。

江戸末期の歌舞伎狂言作者の河竹黙阿弥(かわたけもくあみ)
によって盗賊を主人公とする歌舞伎狂言の総称「白浪もの」の
中で、七五調の名せりふでお馴染みの「白浪五人男」。



盗賊の頭領日本右衛門、本名は浜島庄兵衛、幼名を友五郎と
いい通称十兵衛とも呼ばれてました。

家は代々尾張藩の足軽或いは七里役(尾張から江戸までの間
七里ごとにおかれた飛脚)だったとも伝えられてます。

やがて、父の富右衛門(他に友衛門)は役向によって遠州金谷
宿に移り住んだ。

従って庄兵衛の生まれは金谷説や尾州上宿説もあって定かで
はありません。

少年の頃から力強く喧嘩早かった。

その上にもって生まれた豪胆さに家を飛び出し、博徒の群れに
加わるようになり市井無頼の徒と交わって放蕩三昧の日々を送
るように
なってしまった。



この頃から「庄兵衛」と名乗り、一味徒党の頭領におさまり、当初
は全品を盗んでも貧民に分ち与えるといった義侠的盗賊だったと
いわれてます。

しかし、だんだんと一味の数が増すことによって大胆不敵な手口で
近国八ヶ国を股に、荒らし廻わるようにになるが、四五十人の強盗
集団が組織的分担によって決行する行為は、智能敵で粗つがなく、
被害件数もうなぎのぼりに増えたといわれてます。

日本駄右衛門の生涯のお話は続きます。


被害件数の記録は、郷土資料「土の色」「湖西市史・第七巻」に
磐田市及び周辺の被害が記されれます。

雄踏図書館、郷土史料コーナーで見ることができます。

※写真提供:雄踏歌舞伎保存会「万人講」


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