歌舞伎と歴史の街、雄踏(ゆうとう)、来年1月は、第24回に定期
公演が雄踏文化センターで開催されます。
一見、敷居が高いような歌舞伎の世界ですが、ふとしたきっかけ
で触れてみると興味深いものがあります。
江戸末期の歌舞伎狂言作者の河竹黙阿弥(かわたけもくあみ)
によって盗賊を主人公とする歌舞伎狂言の総称「白浪もの」の
中で、七五調の名せりふでお馴染みの「白浪五人男」。
盗賊の頭領日本右衛門、本名は浜島庄兵衛、幼名を友五郎と
いい通称十兵衛とも呼ばれてました。
家は代々尾張藩の足軽或いは七里役(尾張から江戸までの間
七里ごとにおかれた飛脚)だったとも伝えられてます。
やがて、父の富右衛門(他に友衛門)は役向によって遠州金谷
宿に移り住んだ。
従って庄兵衛の生まれは金谷説や尾州上宿説もあって定かで
はありません。
少年の頃から力強く喧嘩早かった。
その上にもって生まれた豪胆さに家を飛び出し、博徒の群れに
加わるようになり市井無頼の徒と交わって放蕩三昧の日々を送
るように
なってしまった。
この頃から「庄兵衛」と名乗り、一味徒党の頭領におさまり、当初
は全品を盗んでも貧民に分ち与えるといった義侠的盗賊だったと
いわれてます。
しかし、だんだんと一味の数が増すことによって大胆不敵な手口で
近国八ヶ国を股に、荒らし廻わるようにになるが、四五十人の強盗
集団が組織的分担によって決行する行為は、智能敵で粗つがなく、
被害件数もうなぎのぼりに増えたといわれてます。
日本駄右衛門の生涯のお話は続きます。
被害件数の記録は、郷土資料「土の色」「湖西市史・第七巻」に
磐田市及び周辺の被害が記されれます。
※
雄踏図書館、郷土史料コーナーで見ることができます。
※写真提供:雄踏歌舞伎保存会「万人講」
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